自分なりに今年を振り返ってみると、一番大きな出来事は、大学時代の友人が亡くなったことであった。早過ぎる旅立ち、亡がらは在りし日の面影を残すものの、痩せ細った体は闘病の苛酷さを物語る。その姿に涙をこらえきれず、十分に別れを告げることもできなかった。温かいお別れの会を通じて、懐かしくも二度と戻らない人を思い、また抑えきれぬものがこみ上げる。上を向いて肩を震わせながら、亡き人が死の直前まで惜しみなく周囲に与えてくれた心遣いに触れ、喪失を嘆くよりも、故人の気持ちを大切にしたい、といつしか思わされていた。
今年の出来事と言えば、もう一つ、人生で初めて台湾に行くことになった。以前書いたように、別に予期したわけでも狙ったわけでもないのに、最近大陸に行く際は、その直前に尖閣の国有化があったり靖国参拝があったりと、必ずと言っていいほど、ものすごく歓迎されない雰囲気が醸成されていた。初めての台湾も、あにはからんや「太陽花運動」が勃発、総統府など一部有名観光地には近づくことすらできなかった。
この運動についてはご存知の方も多いと思うが、要するに、中国と台湾の間で締結された協定(サービス業に関する相互の規制を大幅に撤廃するという内容)がその批准手続において違法または違憲であるとして、その撤回または再審査、若しくは本件及び同様の協定批准のための手続の法定を求め、学生がデモや集団的実力行使を行った、というものである(台湾が経済的にだけでなく政治的にも中国に飲み込まれる、という意識が背景にあると言われる)。その結果、多数の学生が議会に突入し、長期にわたって占拠を続け、警察との衝突やにらみ合いが続くということになった、というわけである。
自分が台北に行ったのは、ちょうど学生の一部が行政院に侵入しようとして警察と激しく衝突、ついには流血の事態が生じるという、正にこの運動がピークに達した時期であった。友人のバイクで立法院や行政院の周りを見せてもらったが、鉄条網を張り巡らした強固なバリケード、そしてその周りに配置された警察官たちを見ると、問題が日本で報道されているよりもかなり深刻であることがわかった。
さて、この協定であるが、その条件からみれば台湾にとってかなり有利な内容である、と言われている。また、協定締結から運動の激化まで少し時間が離れていた(その間抗議やデモが続いていたのかもしれないが)こともあり、何か血気盛んな学生がその発散の場を求めているだけのようにも見えた。
何よりも、「民主」を標榜して議会を占拠するという行為は、民主的な選挙を経ていたとしても、議会の決定が自分の主義・主張に沿わないなら、それを「民主」の名の下に実力で破壊する、ということを意味する。それは、「やっぱり中華民族には選挙や民主は向かないんだよ(=一党独裁がいいんだよ)」という声を、ほかならぬ大陸から、時に勝ち誇ったように、また時に自嘲的に、引き起こすこととなっていた。
このような状況を見るにつけ、自分にはこの太陽花運動が、いわば嘆かわしいもの、あまつさえ忌まわしいもののように思えてならなかった。世界の各地で上がる「民主(化)」を求める声、そこにどれだけの決意や覚悟があり、どれだけ悲惨な結果を招いているか。それに比して、台湾の学生のなんと安全でひ弱、無知で傲慢、そして無謀で欲張りなことか。傍から見ると、負傷者が出たことをヒロイックに語り、謙抑的とも見える警察の「暴力」を罵倒する学生のほうが、よほどヒステリックで暴力的にすら見えた。
ところが、4,5日ほど台湾で過ごすうちに、そのような考えは少しずつ変わってきた。それは、一つにはこのような学生の熱意に寄り添い、それをも一つの教育の機会として考える先生方に触れたことによる。「太陽花運動」の影響で、台湾の多くの大学で授業ボイコットやクラス閉鎖という事態が生じていたのだが、それに代わり、デモ・占拠現場での辻説法のような街角授業、広場や公園での「民主サロン」といった討議など、教授や外部講師、そして学生自身による「生きた授業」が行われていた。
| 授業ボイコット中に学内で「青空教室」ばりに講演と討論が行われているところです。 |
さらに、闘争の中で学生が見せていたユーモアや風刺には、懐かしく切ない思いと共に、この運動が平和裏かつ成功裏に終わってほしいという気持ちがこみ上げてきた。それは、権力者の理不尽や非情に直面したとき、それを罵倒または非難するのではなく、むしろ風刺やユーモアでこれを笑い飛ばそうとする、無力な人々のささやかな抵抗が、凄惨な結果をもたらした数々の事件を思い出させたからである(https://www.youtube.com/watch?v=XFDL2ATny9I または https://www.youtube.com/watch?v=0c6SdPi4174 参照)。そこには、理不尽や不条理にも笑いを以て立ち向かおうとする中華民族の良き伝統が溢れるとともに、言葉や気持ちで人々に訴えかけていこうとする真の(または高次の)「討議的民主」の姿が見いだされた。
ご存知のように、この事態は最終的に双方が譲歩し、協定の再審議と手続面での整備が約束され、ついに学生たちが自発的に立法府を明け渡すことにより、平和的に解決を見た。自分はどこかで、「きっと警察が突入して流血がおきるに決まってる」という臆病者的マジョリティ意識に支配されていたのかもしれない。そんなわけで、この「意外な」解決を目にしたとき、自分の中には強い羞恥と、新しい希望がもたらされた。同時に、台湾の警察官たちが、極限の疲労と困難の中で、学生を若き(未熟な)同胞として、その行為に精一杯の忍耐力を以て接し、安易な暴力を控えたことに、心から敬意を表したい。
| 某大学教授の研究室に張り出された「授業ボイコット」の張り紙です。「学生は安心してデモに参加するように」と書かれています。 |
自分のこの気持ちは、おそらく大陸の方々に(表立っては)共有されにくいであろうし、また日本の方々の多くも、違う感覚・理解を持たれるかもしれない。ただ自分はやはり、情熱と希望と笑いこそが中国に一番よく似合う、と思う。その思いを確認しつつ、この年の終りに、初めて中国に訪れたときの気持ちを思い出しながら、言葉を連ねてみたのである。