2014年12月9日火曜日

「法治」の行く末

 以前某所で「井の中の蛙」として駄文を書き散らしていたのだが、このたびゼミの学生が場所を用意してくれたので、こちらでまたいらぬことを書き連ねることとなった。古い蛙を新しい井戸に入れただけ、という憾みがなくもないが、新しい水になじむよう、もっと良い声で鳴こうと思うところである。

 さて、昨日(12月8日)の1時頃、某所で偶然テレビの画面を目にした。それはT○Sの「ひるOび」(事情により名前は伏せます)で、ちょうど中国の元共産党中央政治局常務委員(当時の最高幹部9人の一人)周永康氏が汚職や贈賄などの疑いで逮捕、というニュースの解説をやっていた。
 この周氏であるが、在任中から黒い噂に欠くことはなく、しかも同氏との強いつながりが指摘されていた太子党のホープ薄熙来氏が失脚したこともあり、2012年の新指導体制成立以前から、X-Dayを予想する声がしばしば聞かれていた。またエラい人間が膨大な蓄財をしていることはこれまた周知の事実で、彼ほどではなくとも不正蓄財で処罰されるエラい人など掃いて捨てるほどいる。
 そんなわけで、この逮捕には大して「ニュース」性もないのだが、その地位の高さもあってか、金、権力そして色を巡るどす黒さは他の事件の比ではなく(不正蓄財は2兆円、出世と色のために邪魔な前妻は事故を装って殺害、かつての職場では強姦を繰り返し、愛人は29人いたとされている)、ワイドショーにとって格好のネタであったとは言える。
 このように概ね興味本位の、いわばありがちなワイドショーネタが、しかし自分のある意味学問的関心を引いたのは、あるニュース・フリップの内容が原因であった。それは、周氏の逮捕が、習近平総書記の下で現体制が唱道する「法治」を体現するという意味がある、とするものである。つまり、エラい人でもワルい事をすれば捕まるよ、ということを人民に見せるため、ということらしい。
 念のため言っておくと、このコーナーでは、中国の権力闘争に関しては日本屈指の論者というべき研究者が解説に当たっていた。要するに、コーナーの主眼は権力闘争(及びその他ドロドロ)であり、そもそも「法」の問題にはなかったのだろう。そうすると、なんだか見当違いな批判をするような感じはするのだが、そこは中国「法」研究者としては捨ててはおけぬところ、なのである。
 捨ててはおけないのは何か、というと、それは「法治」の言葉の軽さ、ひいてはその価値の喪失、というべき問題である。この点、少し敷衍して説明したいと思う。

 あちらで政治的地位が高い人が逮捕される場合、それよりかなり前に共産党内での身柄拘束と尋問が行われ(しばしば長期化する)、突然公的な場・行事から姿を消す。今回の周氏にしても、だいぶ前に身柄拘束が伝えられており、長期にわたる身柄拘束の末に、今回の逮捕に至ったのである。
 問題なのは、この身柄拘束には、司法機関による令状や審査・承認の類は全く必要がない、ということである。要するに、ここでは刑事手続上の権利保障などが働く余地もなく、現実には警察や司法よりよっぽど強力な、際限のない身柄拘束と尋問が繰り返されることになる(拷問による死亡事件などもたびたび指摘されている)。
 より深刻なのは、このような法の精神を無視した身柄拘束とそれによる訴追が、少なくとも報道では、「法治」の体現として人民から喝さいを以て迎えられている、とされることである。エラくてワルい奴が処罰されることに人民が溜飲を下げるのはわからないでもないが、報道・輿論は「無罪推定」どころか、もはや「有罪断定」状態である。
 実際に、エラくてワルい奴が捕まると、愛人だの強姦だの小児性愛だの、凄まじい罵詈雑言がメディアを飛び交うのだが、実際に訴追される犯罪は意外なぐらいわずかな不正蓄財だけ、ということが散見される。要するに、ここではエラくてワルい奴には何をしてもいい、という精神状態が蔓延しているのであり、これはリンチが蔓延した文化大革命期の精神構造と変わらない。
 何より、表面上エラくてワルい奴が処罰されたように見えるが、実は既にエラくなくなったから処罰されたわけで、エラい奴が処罰されない状況は変わらない。そして報道を見る限り、彼がエラいときは、不正蓄財しようが強姦しようがさらには殺人までしても、訴追すらされなかったのである。声を上げた者もいただろうが、そのような者は反逆や誹謗、さらには国家機密漏えい等の罪に問われ、結果として空気の読める人たちばかりが残ったのだろう。こういう構造を残したままで、エラかったワルい人だけ処罰して「法治」の体現だと言っている、その矛盾または空虚こそが問われるべきではないだろうか。
 別に他人のことだからいいよ、という向きもあろうかと思うが、ちょっと考えてみてほしい。エラくてワルい奴なんて掃いて捨てるほどいるわけで、彼らへの怒りや憎しみが高まったからと言って、そういう連中を根こそぎ処罰するわけにもいかない。そうすると、今回のように権力闘争の脱落者を生贄にするか、または(おそらく同時に)エラそうでワルい隣の軍国主義者への脅威論が(なぜか)高まり、反日感情が燃え上がることになる。そうすると、日本人旅行者や駐在員は嫌がらせを受け、日本製品のボイコットが起こり、重要物資の対日輸出が制限され…要するに、単純に他人事ともいえないのだ。

 そんなわけで、中国「法」を研究する日本人としては、エラくてワルい奴がバンバン処罰される(往々にして死刑にならないが)よりは、むしろこういうやり方自体ちょっとおかしくないか、という言葉や意識が出てくることにもっと期待しているし、できれば日本の報道もそうあってほしいと思っている(中国の人たちもいっぱい見ているし)。
 それがすぐさま中国によい「法治」をもたらすわけでもないし、大して効果もないかもしれない。また、「法治」が実現しても反日暴動がなくなるとは思えない(54運動のように、民主や自由を求める人々も運動の主力となる)。だとしても、興味本位でエログロの関心を掻き立てるよりずっとましだろう。何より、自由や権利を保障する憲法が変えられようとする時代、自分たちの「法治」の姿を考える良い機会になるかもしれない。もう遅すぎるのかもしれないが。

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