2014年12月22日月曜日

暢気な選挙

 先だっての選挙では、某TV局はジャニーズのS君とイケメン政治家K氏の対談を組んだりしたらしいが、これに元N○KアナウンサーT氏が「選挙特番にアイドルとかおかしい」といった書き込みをし、例によって「炎上」したとのこと。自分はそもそもTVを見ないので、この事件については何をかいわんやであるが、少し興味をひかれたこともあり、ちょっと選挙について考えてみることにした。

 西洋の方々から見たとき、日本の選挙がかなりクレイジーに映るのは、つとに知られたところである。以前ドイツのTV局が日本の「どぶ板選挙」のドキュメンタリーを作成してあちらの人を驚かせた、というが、我々が当たり前と思っているいくつかの情景、例えば候補者が必死で頭を下げて時には土下座までしてお願いするとか、街宣車が巨大な音声で政党と名前を連呼するとか、ちょっと考えてみれば頭のおかしい人(たち)と思われても仕方がない絵に満ちている(実際そうかもしれないが)。
 とりわけ東京では、選挙なんだかどうだかよくわからない変な立候補者が目立つ。写真もない選挙ポスターに「自分は救世主で世界はもうすぐ終わる」といった話を小さな字で大量に書いてる人、政策よりも「スマイル!」や「発明」の話ばかりしてる人、自称ロックスターに戦国大名…何の選挙でも出てくる節操のなさもあって、こういう人たちこそが日本の選挙を代表する人たちのように感じられる。
 変な話、西洋よりむしろ中国(大陸)の選挙と比べると、そのバカバカしさはより鮮明になる。中国では日本のようなヘンテコな立候補者も、けたたましい街宣カーも、万歳や土下座に満ちた狂騒的選挙活動も目にすることはない。それどころか、選挙特番や政見放送、そして関連の宣伝や広告すら目にすることもない。
 念のため言っておくと、「一党独裁」とされる中国にも、共産党以外の政党があり、各レベルに議会(「人民代表大会」という)があって、議員の選挙がある。直接選挙は末端の二つのレベル(いわば市町村くらい)に限られ、あとは間接選挙になるのだが、いずれにしても、日本の議員にあたる「人民代表」は、末端から頂点まで一応選挙で選ばれている。一部の大都市では、かなりラディカルな主張を持つ候補者が、選挙民の熱烈な支持を受けて当選することもあるほどだ。

 …とは言ってみたものの、お察しのとおり、この「選挙」、現在我々が思うような選挙とはほど遠い。解散の仕組みを持たない中国では、5年の任期毎に一度選挙が行われるのだが、大方の場合、各選挙区の立候補者は「望ましい人物」に限定され(法的根拠すらある!)、空気を読まない輩が立候補したりすると、選挙期間中なぜか姿を消してしまったり、突然変な罪名で拘束されてしまったりする(明治、大正期の日本のように!)。
こういう事態の根源は、選挙開始前、上級の共産党の偉い人から伝達された「選ぶべき人」のノルマ(性別、民族、職業、戸籍、党員非党員の別…)にある。要するに、これは「あなたの選挙区ではこういう人が選ばれます」、という「神の声」であり、当然ふたを開けてみれば(ほぼ)必ず「選ばれるべき人が選ばれる」ことになる。そして頂点たる「全国人民代表大会」に至っては、その中間に重ねた間接選挙(とそれ以外の仕組み)の甲斐あって、「選ばれるべきでない人」などは決して選ばれないことになるのである。
 言うまでもなく、このような状況は、人々の選挙に対する熱意を失わせる。自由は保障されず、選挙活動は制限され、大した主張もできない。何をしたって、どう頑張ってみても、結局決まったことが実現するだけなのだ。選挙に期待や熱意など持ちようがない。

 翻って我がニッポンを見てみると、立候補者が突然消えたり、逮捕されたり(ビラ配りは捕まるが)もせず、自由な立候補と選挙活動は保障され、その結果、ヘンな人がおかしな主張を繰り返す…あちらと比べるとなんとも暢気な情景である。
 ところが、不思議なことに、選挙は盛り上がらず人々の投票意欲は著しく低い。その原因として、一つには、選挙や政治なんか興味ない、という人々の意識の問題があるだろう。その意味では、汚いオッサンたちが偉そうな説教をタレる番組よりは、イケメンたちが未来を語る番組を流したほうがずっとよい。
 ただ一層気になるのは、中国同様、「結局決まったことが実現するだけ」という予定調和の問題である。今回の選挙でも、おカネの問題で閣僚の辞任が相次いで、それに便乗して「キャバクラ」だの「エルメス」だのが飛び出し、収支の「訂正」も相次いだ。にもかかわらず、そういう人たちは軒並みトップ当選(関係事務所のパソコンを破壊してたりするのに!)、みそぎは済んだ、新たな船出だ!ときたもんだ…要するに、「選ばれるべき人が選ばれる」という点では、日本の選挙も似たようなものなのだ。
 考えてみれば、国民が必要を感じてもないのに突然解散して、何百億もかけて選挙をするというんだから、もはや誰の誰による誰のための選挙かは明白である。少なくとも、莫大なお金と時間と労力をムダにしてまで国民に選挙を強制したりはしない、という点については、中国のほうが日本よりまし、とすらいえる。

 とまれ、逆説的ではあるが、自分はこれが「必要のない選挙」であることを心から願っているのである。既に圧倒的多数を有する与党が、大量の国費を使って敢えて選挙をやる、それがより大きな目的によるものであるとすると…と考えるだけで背筋が寒くなってくるのは、果たして自分だけであろうか。

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